33.ソメイヨシノの話し

日本の花と言えば桜、桜と言えばソメイヨシノを連想するくらいに、本種は関東の都市部では90%以上を、関西では70%を占めるほど国中を席巻している。何故ソメイヨシノがこれほどまでに好まれるのでしょうか。ソメイヨシノは野生種のオオシマザクラ(写真1左)を父に、エドヒガンザクラ(写真1右)を母とする種間交配によって江戸末期に誕生しました。ソメイヨシノ(写真2)は枝を横に大きく張り出し大木に成長する。若葉が出る前に花を咲かせる性質は母親から受け継ぎ、品の良い大きな花びらは父親から受け継いでいます。一斉に満開を迎える風景は華やかで桜吹雪で散る様は、お花見好きの日本人にとって浮き世の感傷に浸るときでもある。そして花の咲く時期が3月の卒業式から4月の入学、入社時期と重なり、別れと出会いの象徴でもある。ソメイヨシノの植樹が全国に加速的に拡大したのは、接ぎ木の技術によって均質な苗木が短期間に大量に生産できることに加えて成長が早いという経済的理由が大きいと思われる。

写真1左 オオシマザクラ 町田相原浅間神社 2021.3.24  写真1右 エドヒガンザクラ 坂東市観喜寺

写真2左:ソメイヨシノ 2019.4.3  千鳥ヶ淵  写真2右:満開のソメイヨシノ                                       葉が芽吹く前に花が枝一杯に咲く

★全てのソメイヨシノは同一の遺伝子を持つ

接ぎ木によって増殖されたソメイヨシノは全く同じ遺伝子を持つ、1本の原木からのクローンなのだ。同じ形質を受け継ぐため一斉に咲き、一斉に散る。その出生地は、かつて韓国の済州島であるとの説もあったが、現在では、各地のソメイヨシノの遺伝子解析から江戸駒込の染井村との説が有力である。しかし、実の父母の固体はいまだ特定されていないと言う。

ソメイヨシノは種無しスイカのように種を作れないとしばしば誤って理解されている向きもあるが、本当の理由は全てのソメイヨシノが同一の遺伝子を持つクローンであるためである。桜の仲間は自家不和合性のために自家受粉できないのでクローン間では受精できない、つまり種を作ることができないのだ。しかし、他の種の桜であれば受粉でき、結実し種も作れると言う。人の子供と同じように、ソメイヨシノには同じ親から生まれた体質も性質も異なる兄弟姉妹が沢山いる、子供もいる。例えば、ソメイヨシノとオオシマザクラから咲耶姫や衣通姫(そとおりひめ)などが生まれた。仙台吉野は八重紅枝垂を母とし、ソメイヨシノを父とする子供なのである。

詳しくは右ご参考まで:分子生物学者勝木俊雄「桜の科学」(サイエンス・アイ新書);「桜」(岩波新書)

★ソメイヨシノの功罪

ソメイヨシノはオオシマザクラとエドヒガンザクラの形質の良いところ取りの桜で、日本の桜文化を一変させた。古来桜と言えば、吉野山に代表されるようにヤマザクラを中心に様々な桜があり、江戸時代には優れた栽培品種が作出され多様な桜が武家屋敷の庭やお寺の境内などに植えられて愛でられてきた。

ソメイヨシノが幕末に生まれ、明治時代に爆発的に拡大した。明治政府は近代化を強力に推し進めました。幕藩体制は崩れ、武家屋敷は開発の波にのまれ、廃仏毀釈の嵐の中で、寺の境内にあった多くの桜は伐採廃棄されました。道路整備のための街路や護岸工事の堤にはソメイヨシノがこぞって植えられ、さらに、国民の娯楽施設として各地に桜公園が作られたとのことです。ソメイヨシノ一色の状況は同時に貴重な桜の絶滅、桜の多様性の喪失という結果を招いたのです。京都の桜守十四代目佐野藤右衛門はこうした状況を憂いた一人でした。貴重な桜を保護するために武家屋敷や寺々を訪ねて精力的に珍しい桜を収集しました。また、後に江北村の村長になる清水謙吾は荒川提の補修工事とその堤に桜を植えることを提案、東京の桜守舩津静作らの協力の下に、ソメイヨシノではなく色とりどりの里桜を植えました。ここは現在でも荒川提の五色桜として名所になっている。日本の桜を守った一人のイギリス人「チェリー・イングラム」を忘れてはならないでしょう。彼はケント州ベネントンの新聞社を経営する裕福な家に生まれ、最初は野鳥研究者として後に桜の収集家、権威者として有名になりました。1902年に彼が最初に日本を訪れたとき、日本の美しい自然の風景、とりわけ日本の桜に魅了されました。その後1926年(昭和元年)3度目の日本訪問のとき、かつての伝統文化が近代化の波の中で失われ、園芸界にも商業主義が蔓延し、日本の多様な桜はどれも絶滅の危機に瀕する状況を目の当たりにしました。「日本の大切な桜が危ない」と危機感をいだきました。そして、桜を英国に持ち帰って保存しよう、と決意したのでした。日本中を桜行脚し、京都の桜守佐野藤右衛門や東京の桜守舩津静作らの協力の下に大量の桜をイギリスに送らせました。イングラムは戦後、日本で絶滅したと見られたいくつかの品種の内、「太白」を里帰りさせたことは、彼の大きな功績の一つになっています。

 ソメイヨシノに代表されるように、一斉に咲いて潔くパッと散る様は、軍歌“同期の桜”「…咲いた桜は散るのも覚悟 みごとに散りましょお国のために」でお馴染みの、様々に軍歌として謳われ国家イデオロギーの大きな柱になっていました。桜(ソメイヨシノ)の持つイメージ(形質)として、①集団性(一度に咲く見事さ),②潔さ(一斉に散る、刹那の美)③儚さ(短い花の命)、④解放感(厳寒の冬から春爛漫へ)があります。特攻隊の最初の部隊名が「山桜隊」、「初桜隊」、「若桜隊」などだった言う、軍と桜の密接な関係を物語っています。とは言え、桜に罪はありません。現今では、桜に対するかつての負のイメージはなく、見事に咲いたソメイヨシノを称え、単純に春爛漫を楽しんでいます。日本人は桜が好きなのである。

詳しくは右ご参考まで:英国在住のジャーナリスト阿部菜穂子「チェリー・ イングラム-日本の桜を救ったイギリス人」(岩波書店、2016年);文学者中本真生子「桜と国民」(立命館大学人文学会編、681号, pp.193-210, 2023年)


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