15.縁、縁、縁ーあるがまゝを楽しむ

/えん、ふち、へりと読む。最初の縁は仏教が教えるところの因縁生起(略して縁起)の縁である。あらゆる生起に直接関係するものを因と呼び、因を手助けして結果をもたらす間接的な作用を縁と言う。すべての事象、すなわち有為(うい)は因と縁との2つの原因が働いて生ずるとみる。自分の存在そのものが縁なのだ。

後者の2つの縁、織物の端を起源とするフチとヘリで、崖っプチに立つとか、金色でフチ取りしたスカーフのふち、川ベリとか畳のフチのふちのように使用される。ある面上での内と外の境界線または領域を表わす言葉である。私はヘリが気ままできて好きだ。

/私は当団地のへりに住んでいる。低いフェンスを越えれば、石垣のすぐ下は人が殆ど来ない市の緑地公園になっている。お蔭で、あまり他人を気にすることなく私的な目的で利用させてもらっている。第一にそこは私の毎朝のストレッチングとテニスの素振りをする場である(写真1)。また、私が拓いた10坪程度のフキ畑、私が育てた紫ダイコン花の群生地、少し離れた荒れたササヤブには30本余りのタラノキ、秋には数本の栗の木が実を落とす。また、1昨年の11月に伐採放置されていたコナラやサクラ原木にシイタケなど3種のキノコ菌を植え付けた。今年の秋の収穫が楽しみだ。今ではかなりの人に気付かれたようで、山菜取りや栗拾いは競争になることがある。私的な楽しみのために公共の場を無断で使用することは良くないことかも知れないが、他人に迷惑どころか、喜んでくれるのであれば、まあ許されることかなと思う。

/写真1 がけ下のフキの群落

これから、折を見て、当団地のヘリでの楽しみを紹介する。


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